顔面神経麻痺とは
笑顔になったり、悲しい顔になったり、起こった顔といった顔の表情は、顔面から頸部にかけて左右それぞれ30種類以上ある表情筋によって生み出されます。
筋肉は神経によって動きがコントロールされていますが、表情筋も同様で、右左に1本づつある「顔面神経」という神経によって、それぞれ顔の右半分、左半分の動きがコントロールされています。
この顔面神経の働きがなんらかの原因で低下すると、表情筋をコントロールすることができなくなり、動かすことができなくなります。右の顔面神経の働きが低下した場合には右の表情筋が、左の顔面神経の場合には左の表情筋がそれぞれ動きにくくなったり、動かなくなったりして、顔の表情が作り出すことが出来なくなります。
この状態のことを、顔面神経麻痺といいます。
顔面神経麻痺の原因は?
顔面神経の麻痺を生じる疾患はいずれも、ほとんどの場合、左右のどちらかの麻痺がおこることがほとんどですが、稀に両側の麻痺がおこります。
また、味覚を感じる神経や涙を出す神経はそれぞれ脳を出て、舌や涙腺につながるまでの間の通り道として顔面神経の中を通りますので、顔面神経に障害がおこるとその影響を受けて麻痺を起こした側の舌では味覚を感じなくなったり、しびれたりする症状がでることがあります。
また、涙を出がでなくなったり、逆に出すぎたりする症状が起こることがあります。
また、顔面神経麻痺を起こす病気には顔面神経麻痺以外にもいろいろな症状を伴うことが多く、顔面麻痺を起こしている病気を診断する手がかりとなります。
ベル麻痺
ベル麻痺は顔面麻痺を起こす原因として最もよくみられる病気です。顔面神経麻痺のおよそ半分はベル麻痺が原因で、毎年人口10万人あたり、20-30人程度はこの病気にかかると言われています(Gilden, 2004)。特発性顔面神経麻痺とも呼ばれ、原因は現在まで解明されていませんが、少なくとも一部ではヘルペスウイルスによる顔面神経の炎症が起きているのではと推測されています(Eviston et al, 2015)。症状は顔面神経麻痺のみのことがほとんどで、それ以外の症状が起こることはまずありません。
ベル麻痺は比較的治りやすい病気で、後遺症として麻痺が残る可能性は10%程度と考えられています(Hato et al, 2007; Sullivan et al, 2007)。
ハント症候群
子供のころに「水痘(みずぼうそう)」になった経験は多くの方がお持ちだと思います。このウイルスは水痘が治ったあとに神経(知覚神経節)の中に潜伏し、大人になってから神経の中で再び増殖し、帯状疱疹の原因となります。ハント症候群は顔面神経の知覚神経節である「膝神経節」というところに潜伏したウイルスがふたたび増殖し、ウイルス性神経炎を起こすことで麻痺が生じます。帯状疱疹のように痛みを伴う水疱が耳介やまれに口(軟口蓋、舌)に生じ、3大症状(三主徴)は「顔面神経麻痺」「耳痛」「耳介の皮疹」です。皮疹は生じないこともあり、その場合には無疱疹性帯状疱疹と呼ばれます。ベル麻痺に次いで多く顔面麻痺の原因となり、顔面麻痺のおよそ1~2割がハント症候群によって起こります。
ハント症候群の特徴はウイルスによる神経の炎症が交通枝とよばれる神経どうしをつなぐ細い神経を通して炎症が広がることで、そのため、顔面神経とつながる聴神経へと炎症が広がり、難聴やめまいが起こることがあります(ベル麻痺ではこのようなことはありません)。
ベル麻痺より治りにくく、後遺症として麻痺が残る可能性は30%程度と考えられています(稲垣彰 ハント症候群 標準耳鼻咽喉科学 第4版、2020)。
外傷性麻痺
顔面神経は脳幹からでて表情筋へとつながりますが、その間に、耳の後ろにある硬い骨、側頭骨の中の骨に囲まれた小さな管、顔面神経管の中を通ります。そのため、側頭骨が骨折すると、骨折した骨によって顔面神経が圧迫されて、顔面の麻痺がおこることがあります。麻痺がおこるタイミングは2つあり、受傷後48時間以内(72時間以内とする説もあります)に起こる即時性麻痺、それ以後に起こる遅発性麻痺の2つがあり、即時性麻痺は骨折した骨による直接的な顔面神経の圧迫が原因であることが多いのに対して、遅発性麻痺は外傷の衝撃で神経が損傷して、そのために生じる神経の腫れ(浮腫)が原因で起こるのではないかと考えられています。
後遺症が残るかどうかは神経の損傷の重症度や種類により、一概にいえません。即時性の麻痺で、90%以上の神経が機能しない場合には、圧迫を解除する手術(顔面神経減荷術)を検討します。
腫瘍性麻痺
顔面神経は脳幹からでて表情筋へとつながりますが、顔面神経の近くにできる、特に耳下腺癌や中耳癌・外耳癌といった悪性腫瘍によって顔面神経が障害され、麻痺がおこります。良性腫瘍が顔面麻痺の原因となることもあり、比較的多いのが顔面神経そのものから腫瘍が発生する顔面神経鞘腫であり(稲垣彰 顔面神経鞘腫 標準耳鼻咽喉科学 第4版 医学書院 2020)まれに聴神経腫瘍が原因となることもあります。
ライム病
北海道、長野県、福井県、群馬県、新潟県、福島県といった寒冷な森林地帯に生息するマダニに刺されることで、ボレリアと呼ばれる細菌に感染し罹患します。早期の症状として顔面麻痺以外にもインフルエンザのような倦怠感、頭痛、発熱の他、皮膚症状として遊走性紅斑がみられます。一般に顔面神経麻痺にはステロイド剤がその治療に用いられますが、ライム病ではステロイド剤が逆に症状を悪化させる原因となりますので、注意が必要です(Jowett et al, 2016)。
ギラン・バレー症候群
フランス人の医師、ギランとバレーによって報告されたことにより生じる症候群です。毎年、この病気にかかるのは人口10万人あたり1-2人程度で比較的稀な疾患です。麻痺発症の3~10日前より手足のしびれや上気道炎が先行します。3~6割の症例が顔面神経麻痺となりほぼ全例で両側が麻痺しますが、はじめは左右のどちらかが先行し、両側の麻痺となるまでまで、2/3の症例では1日以上かかります。麻痺が進行すると呼吸筋麻痺によって呼吸ができなくなることがあり、注意が必要です。
その他
これらは代表的な疾患であり、その他にも顔面麻痺を生じる病気はいくつか知られています(稲垣彰 その他の顔面神経麻痺をおこす疾患 標準耳鼻咽喉科学 第4版 医学書院 2020)。
顔面神経麻痺の重症度の診断は?
顔面神経麻痺の重症度は、表情筋の麻痺の度合いと、神経障害の程度によって診断診断します。
表情筋の麻痺の程度は表情筋スコアという動きを点数化する方法で、神経障害の程度は顔面神経の根元を電気で刺激し、どのくらいの表情筋が動くかを調べて診断します。
顔面表情筋スコア
⑴柳原法(40点法)
国内の耳鼻咽喉科医や形成外科医の間でよく用いられる方法です。顔面表情筋を部分的に動かして、部分部分を採点するのでregional method (局所採点法というような意味です)とも呼ばれます。点数をつける人によって点数の差が出にくいという特徴があります。採点する顔の動きは
①安静時(左右対称性)②額のしわ寄せ、③瞬目運動(目をぱちぱちさせる)、④軽く閉眼、⑤強く閉眼、⑥片目つぶり、⑦鼻翼を動かす(鼻の入り口を大きくする)、⑧口笛運動、⑨イーと歯を見せる、⑩口をへの字にまげる
の10項目で、これらをそれぞれ0点2点4点の3段階で評価し、40点満点で採点します(柳原 尚明 et al, 1977)。
⑵House-Brackmann法
海外でよく使われる方法で、脳腫瘍術後の顔面神経障害を評価するために開発された方法です(House and Brackmann, 1985)。そうした経緯もあり、国内でも脳神経外科医にはよく用いられます。正常から完全麻痺まで、6段階で顔面の動きを評価します。20段階で評価する柳原法と比べるとややおおまかで、gloss method(全体的な印象採点法というような意味です)と呼ばれ、点数をつける人の印象に点数がやや左右されやすい傾向があります(Satoh et al, 2000)。
電気生理学的検査 Electroneurography(ENoG)
顔面神経が側頭骨の外に出た部分で電気刺激を与えて、表情筋の動きを目安に何%の神経が損傷しているのかを調べる方法です。
神経の損傷がなければ100%の動きを、神経が完全に損傷して、電気を通す神経がなければ、0%となります。麻痺発症直後は正常ですが、側頭骨内で始まる損傷の影響は徐々に広がり1~2週間かけて側頭骨の外にはっきりと表れます。ベル麻痺、ハント症候群、外傷性麻痺ではこの時点の神経損傷の割合が90%を超えた場合には完全な回復がほとんど見込めないと考えて、手術など、追加の治療を検討します。
電気刺激は刺激するポイントの近くにある咬筋(顎の筋肉)を刺激したりして波形に混入したりして時に正確な評価が難しく、検査や波形の判断には慣れや技術が必要な検査です(Fisch, 1980)。
しかし、専門施設でタイミングよく正確に検査が行われた場合には、回復の見込みを予想する方法として国内外で最も信頼されています。
顔面神経麻痺の治療は?
1お薬での治療
麻痺発症後、1日も早く、できるだけ早い時期に治療を開始することが神経のよりよい回復に大切です。お薬による治療では、ステロイド剤による治療が基本となります。
学会の指針では、プレドニゾロンというお薬を、1日あたり軽度であれば30mg、中度であれば60mg、重度であれば120mgから始めて、10日ほどかけて終了する治療を進めています(日本顔面神経研究会, 2011)が、重症な場合には、さらにステロイドの量を増やしたり、耳にステロイドを注射することでステロイドをさらに大量に投与する方法があります。
ハント症候群には抗ヘルペス薬をできるだけ早い時期に、充分な量をお飲みいただくことが大切です。ベル麻痺の治療はステロイド剤が基本ですが、抗ヘルペス薬の効果が期待できる無疱疹性帯状疱疹とベル麻痺の区別は発症初期には難しいことがありますので、少量の抗ヘルペス薬の内服を勧めることがあります。
2手術治療
電気生理学的な検査で90%以上の神経が損傷していると診断された場合には、お薬での治療を充分行っても完治が見込めないと考えられています。
重症化する仕組みの一つに神経が顔面神経内部で圧迫される「神経絞扼」があります。手術は側頭骨内部の顔面神経を神経管の覆いを取り除き、開放することで、圧迫をなくす治療法、顔面神経減荷術を検討します。
3後遺症の治療
顔面神経麻痺の治療を充分に行っても残念ながら後遺症が起こることがあります。代表的な後遺症には⑴麻痺が充分に治らない不全麻痺、⑵2つ以上の場所の表情筋が意図せず同時に動く病的共同運動、⑶顔がこわばる拘縮の3つがあります(稲垣彰, 2017)。
後遺症の治療によく用いられる方法が、ボツリヌストキシン(ボトックス®)注入療法です。この方法は病的共同運動、拘縮に効果がある方法です。効果が一時的で、調整することができます。一方で、徐々に効果がなくなることから3-4か月ごとに注入を繰り返す必要があるのがデメリットともなります。
重度の不全麻痺に対しては、舌下神経という舌を動かす神経や、咬筋神経という顎の筋肉の神経、麻痺とは逆側の顔面神経と麻痺した顔面神経を手術で縫合し、顔面を動かす方法や、背中の筋肉を移植して、顔を動かしたり、眼を閉じたりする方法があります。
また、麻痺で垂れ下がった顔面を整形する手術、顔面つり上げ術(静的再建術とも呼ばれます)も行われます。
いながき耳鼻いんこう科クリニック・豊橋サージクリニックでは、顔面神経麻痺の診断に必要な聴力検査、CT検査、ENoGによる電気生理学的検査に対応するのを始め重度の顔面神経麻痺には顔面神経減荷術にも対応しております。
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