顔面神経減荷術
顔面神経麻痺の多くは、お薬による治療で完治します。たとえば、顔面麻痺の主な原因であるベル麻痺では10人のうち9人が、ハント症候群では10人のうち7人程度が、お薬による治療を適切に行うことで完治すると考えられています。
しかし、神経の障害がとても重度な場合には、どんなにお薬による治療を行っても後遺症が残ってしまいます。このようにお薬による治療で完治が望めない場合に、後遺症ができるだけ残らないように、あるいは後遺症を軽くするために手術による追加の治療を行います。
顔面麻痺はなぜ起こる?
「笑った顔」や「おこった顔」、顔には表情がありますが、これら顔の表情は両側に合計40種類以上ある「表情筋」と呼ばれる顔の筋肉がバランスよく動くことで作られます。
この「表情筋」を動かしているのが右と左に1本づつある「顔面神経」です。そのため右の顔面神経に障害がおこると右側で、左の顔面神経の障害では左側で表情を作ることができなくなります。神経が麻痺すると「脳梗塞」や「脳出血」など脳の病気を思い浮かべる方も多いのではないかと思いますが、脳の病気が原因となることは100人のうち3~4人ととても少なく(1)、加えて、ほとんどの場合に顔面の麻痺以外にも症状がありますので(2)、「顔が動かない」場合、ほとんどは顔面神経に異常があることになります。
顔面神経は脳と顔の筋肉をつなぐ、いわば表情筋にとっては“電源のための電線”のような働きをしています。神経は1本ではなく、およそ7,000本の神経が束ねられて顔面神経になっていて、その1本1本が耳の後ろの硬い骨の中にある「顔面神経管」と呼ばれる管を通って「脳」といろいろな「表情筋」とをつないでいます。2~3割の障害、すわなわち1,000~2,000本の損傷であれば顔面は麻痺しませんが、7割、8割、すなわち5,000~6,000本の神経障害のように神経の割合が増えていくと、顔面に充分な電気が伝わらなくなり、顔面が動きが弱まってしまいます。
これが顔面麻痺です。
顔面麻痺を起こす病気は?
顔面神経麻痺の病気はいろいろとあって、およそ2,000人の顔面麻痺の原因となった病気の調査ではおよそ70種類の病気が原因として見つかっています(1)。
中でも多いのがベル麻痺、ハント症候群の2つです。ベル麻痺は53%、ハント症候群は14%で、顔面麻痺の10人のうち7人では、このベル麻痺かハント症候群のどちらかの病気が顔面麻痺の原因です(3)。
ベル麻痺では単純ヘルペスウイルス(4)が、ハント症候群では水痘・帯状疱疹ウイルスが原因と考えられています。
なぜ、手術(顔面神経減荷手術)をするのですか?
これらのウイルスによる顔面麻痺では、耳の後ろの骨の中にある、顔面神経の「膝部」と呼ばれる場所で炎症が始まることがほとんどです。
炎症が起こるとウイルスによって神経が損傷するのと同時に、顔面神経がひどく腫れ上がってしまいます。神経は顔面神経管と呼ばれる骨の中の狭い空間の中で神経が腫れ上がることで、骨により圧迫されてしまいます。
例えて言うと、ちょうどおなか回りが少し大きくなった時に、少し細めのウエストの洋服を無理に着るとお腹周りが圧迫されて苦しくなるような感じでしょうか?
実際の強い麻痺では、お腹よりもずっと顔面神経が強く圧迫されてしまいます。お腹が苦しくなるように、神経も強い圧力を受けて締め付けられることで、直接的に神経が壊されたり神経を栄養する小さな血管が壊れてしまったりして(5)、ひどく破壊されて回復な不可能な状態となってしまいます。
そのような破壊の進行を止めるために、顔面神経管を開放することで神経にかかる圧力を減らして神経を保護する手術が、「顔面神経減荷術」です。
どんな時に手術が勧められますか?
この手術は腫れ上がった神経を開放して神経の破壊を防ぐためのものなので、神経が強く腫れあがるような重度の麻痺の時にのみ、勧められます。
重度の麻痺かどうかはENoGという検査を用いて障害されている神経の割合を調べ、90%以上の神経が障害されていれば一般に重度と考えられています(6-8)。ENoGは手術が必要かどうかを決めるための重要な検査ですが、正確な検査はこの評価法を確立したFisch博士自身も述べているように簡単ではなく、熟練が必要です(9)。
また、手術は破壊された神経を修復するためではなく神経の破壊を防ぐためのものなので、神経が破壊される前の早い段階で1日でも早い手術の方が効果がありますが、一般に、麻痺が生じてから2週間以内に行うことが充分な効果を得るためには必要であると考えられています(6-8)(これにはもう数日遅くとも効果があるという見方もあります(10, 11))。
そのため、原則的に発症後早い段階で手術が可能な場合にのみ、手術が勧められます。
顔面神経減荷術は、どんな手術ですか?
ウイルスの炎症は膝部、と呼ばれる顔面神経管の中でも脳に近い部分で生じますが、この炎症の中心となる部分の神経が神経が最も強く腫れあがり、遠くになるにしたがって腫れが軽くなります(12)。
一方で、顔面神経管は脳に近くなればなるほど狭くなります。
中に入っている神経の数は脳に近い神経管の入り口と表情筋に近い出口でほぼ同じですが、一番狭い入り口部分と一番広い出口部分では管の広さ(面積)は4倍ほど違いますので(13)、顔面神経は脳に近い、神経管の入り口のところで最も強く締め付けられていることがわかります。
そのため、手術では、脳に近い顔面神経管の入り口付近から中ほどまでを特にしっかりと開放して、神経の締め付けをなくすことが目標になります。
脳に近い部分の開放
脳に近い部分の顔面神経管を開放する方法には、耳の後ろを削って、顔面神経の横側を広げる「経乳突法」と開頭して脳を持ち上げて顔面神経の上側を広げる中頭蓋窩法の2つの方法があります。
経乳突法は、手術時間は2時間ほどで、体の負担が少ない方法ですが、顔面神経管の入り口から1~2.5㎜程度は開放できず、小さな神経の締め付けが残ってしまうという欠点があります(11)。
中頭蓋窩法では顔面神経管を入り口からすべて開放できるので最も効果がありますが、開頭して脳を持ち上げる必要があり、手術には5-8時間を必要として大きな体の負担もある他、中頭蓋窩面の操作に伴う脳梗塞や脳出血、術野からの出血などの合併症の可能性があります。
アメリカではほぼすべてが経中頭蓋窩法もしくは、経中頭蓋窩法と経乳突法の併用ですが(14)、日本では主に医療体制の違いから、逆にほとんどが経乳突法となっています。経乳突法の欠点である開放できない、神経が締め付けられる区間はできるだけ短くして、神経の破壊を小さく、手術の効果は大きくしたいところですが、炎症の中心である膝部から脳の方向へどの程度開放されずに残るのかは、耳の骨(側頭骨)の形の違いによって個人差があります。
手術でどの程度の締め付けが残ったのかは、術後にCT検査をする機会があれば確認することができます。
経乳突法による顔面神経減荷術
経乳突法による顔面神経減荷術では、鼓膜から内耳へと音を伝える耳(じ)小骨(しょうこつ)が脳に近い部分の顔面神経を開放する際に手術の支障となることから、耳小骨いったん取り外して、手術の後、接着剤を用いて戻す方法が用いられています。
しかし、この方法だとどうしても音の伝わりに影響することから、手術のあと、聞こえづらくなることがあるのが欠点とされてきました(15, 16)。
当クリニックの医師はこの欠点に対応するために、原則的に名古屋市立大学病院で開発された、耳小骨を取り外さずに脳に近い部分まで顔面神経を開放する方法で手術を行っております。この方法では、顔面麻痺の改善を犠牲にすることなく(11)、術後に聞こえづらくなることが従来の方法より少ないと考えられています(11, 17)。
手術の効果は?
早期の重度のベル麻痺に手術を行った場合には、お薬による治療よりも高い回復率が見込めると考えています。
手術が勧められるような重度麻痺には、お薬での治療を通常より強く行った場合でも軽度な麻痺が後遺症として残る一方、早期に手術を行った症例では、軽度麻痺が残る場合よりも完治した症例がわずかに多く見られました(詳細な結果はこちら[英語版])。
当院の顔面神経減荷手術
正確なENoG検査と早期の手術が大切と考えております。ENoG検査は、最新の検査機器を用いて顔面神経診療の経験が豊富な医師が直接行っております。
また、顔面神経減荷術の経験も豊富な耳科手術指導医が月曜日から金曜日まで毎日手術が出来る体制を整えており、より効果のある早期の手術のために手術のスケジュールについて柔軟に対応しています。
手術は局所麻酔で行い、2時間ほどの手術となります。
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